愛宕神社
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境内散策

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愛宕天満宮

愛宕天満宮(あたごてんまんぐう) 由緒

【御祭神】 
菅原大神(すがわらのおおかみ)(菅原道真公)、天満天神(てんまんてんじん)
平成20年10月建立 崇敬者の寄進により、社殿を始め鞘堂、鳥居一具が建立され、信仰を集めています。 御祭神である菅原大神(菅原道真公)は平安時代の一流の学者であり政治家で、豊かな学才により右大臣の位まで上り詰めた人物であり、後に神格化し、学問の神として尊崇を集め、学業成就、合格祈願の御神徳をもたらします。
【御神徳】 学業成就、合格祈願

勝鬨神社

愛勝鬨神社(かちときじんじゃ) 由緒

【御祭神】
武神   經津主神(ふつぬしのかみ)、武甕槌神(たけみかずちのかみ)
優勝の神 国勝長勝面勝神(くにかつながかつおもかつのかみ)
馬術の神 保食神(ほしょくのかみ)、生馬神(いくまのかみ)、保馬神(やすまのかみ)
水泳の神 罔象女神(みつはのめがみ)
狩猟の神 大山津見神(おおやまつみのかみ)、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
忍術の神 少名毘古那神(すくなびこなのかみ)、摩利支天(まりしてん)
競艇の神 天鳥船神(あまのとりふねのかみ)、彌津波能賣神(みつはりのうかみ)
体育の神 野見宿禰神(のみすくねのかみ)
創建は不明です。
崇敬者の寄進により、平成18年2月に当地に遷宮遷座されました。武神を始め、神仏種々を祀り、現在では様々な勝負事、スポーツの神として信仰を集めています。

【御神徳】
必勝祈願、技術向上、身体健固

産霊神社

産霊神社(むすひじんじゃ) 由緒

【御祭神】
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
創建は不明です。
崇敬者の寄進により遷宮遷座されました。
御祭神である木花之佐久夜毘売命は、安産・子授け、縁結びの神様とされ、また社号である『産霊』とは天地、万物を生成、発展、完成させるという神道における重要な観念の一つです。
神社に設置している「結こより」を結ぶことで、神様とのご縁がより結ばれ、一層の御神徳が得られます。

【御神徳】
夫婦円満、良縁成就、子宝祈願、安産祈願、子孫繁栄、心願成就

稲荷神社

稲荷神社(いなりじんじゃ) 由緒

【御祭神】
稲荷大神(いなりおおかみ)
創建は不明です。
元々は仙台市太白区八本松に鎮座していましたが、市の区画整理事業の為、昭和50年に当社境内に遷宮遷座されました。崇敬者が奉納した数多くのお使者像が社殿を守護します。

【御神徳】
商売繫盛、交通安全、家内安全
五穀豊穣、大漁祈願、航海安全

境内樹木

神道では境内の一木一草が御神木として往古から大事に育てられてきました。

拝殿脇の老杉は樹齢約500年で、夫婦杉と呼ばれ崇敬者から大切にされてきました。この夫婦杉は旅人の目標であり、仙台の町を見守ってきた大杉です。
そのほか境内には、ヒノキ・ヒバ等が植栽され、たくさんの樹木・草花が四季を飾ります。

とりわけ、紅葉は愛宕大神様の御神恩に感謝し昭和初年、仙台花柳界が奉納したもので、春は濃い緑を、秋にはみごとな紅をもって色どり、市民の目を楽しませます。

参道

愛宕山装飾横穴古墳

当神社境内裾野には、7世紀から8世紀初めにかけて造られた横穴古墳があります。 昭和51年の都市計画街路工事中に発見された古墳もあり、愛宕山を中心に広く分布しております。 横穴古墳は崖に横穴を掘って墓としたもので、玄室の奥の壁には円や円に十の字が入った文様を朱色で書かれているものや、数々の装飾品・土師器なども出土し、装飾古墳であることがわかったものです。

石碑

【軍艦愛宕宮城県出身戦没者慰霊之碑】

当時の軍艦には神棚が報賽され、艦名と同じ神社を祭神として祀っていました。「軍艦愛宕」も例にもれず、艦内にて愛宕神社が祀られましたが、昭和19年10月23日、フィリピン国パラワン水道にて撃沈、乗組員480名が戦死され、その中には宮城県出身者27名が含まれます。 昭和58年10月23日、没後四十年祭の節目に、戦友、ご遺族会が由緒ある愛宕神社境内に、みたま安かれと建立されました。揮毫は山本壮一郎宮城県知事(当時)によるものです。
また平成6年の五十年祭の節目には、後世へと伝えるべく縁起碑が建立されています。

【伊東七十郎忠魂碑】

伊東七十郎は、桃生郡北部・伊東利蔵重村の次子で名を重孝と称します。
仙臺藩四代藩主綱村公は、幼くして藩主となることとなりますが、一関城主で曽叔父にあたる伊達兵部宗勝は主家にならんと画策(伊達騒動)します。これを憂い、同門の采女重門と共謀し、阻止しようとしましたが、計画が発覚し、謀反の罪で捕えられてしまいます。寛文8年4月28日、重孝36歳の時に誓願寺河原(旧愛宕橋下)で処刑されました。これにより、藩内では伊東一族は逆賊とされますが、後に重孝が主家を守らんとする忠孝の士であったと世間に称され、伊東家は旧禄に復し再興を果たします。

明治40年、二百四十年遠忌に氏の孝心を顕彰し招魂碑が建立。
昭和12年、後裔により縁起碑が建立。
平成30年、三百五十年遠忌に修繕整備工事が行われております。

【参道改修工事碑】

大正12年、吉田つぎ子刀自は石段の荒れていることを憂い。嗣子・二郎大人と共に石段の補修と拝殿までの敷石二百余間(約364m)を奉納いたしました。その工事は二郎大人が陣頭指揮にたち監督に当たっており、工事の費用一切は、吉田つぎ子刀自が奉納されました。また、補修工事の用材には秋保の地より切り出された秋保石が全面に使用されました。この誠意を後世に伝えるべく、当時の力石雄一郎知事が篆額、竹駒神社大宮宗司社司が撰文し、(金華山)黄金山神社佐々木舜永社司が墨書し、碑文としたものです。
昭和50年の愛宕大橋(国道286号線)建設の為、参道の一部が損失しましたが、一の鳥居より手摺り付きの急勾配を登った先は、奉納された当時のままの敷石が社殿まで続きます。

【石川善助歌碑】

明治34年仙台市国分町芭蕉の辻(十九軒と称した)に生まれ、郷土詩壇の中軸として活躍。上京し、副士幸次郎、高村光太郎、草野心平、宮沢賢治らと共に日本詩壇の発展に尽くされましたが、昭和7年に急逝されました。享年31歳。鴉射亭(あしゃてい)、石川右京の名を用い、童謡などの作品を残しました。
昭和33年、石川善助27回忌に合わせ友人、有志により建立。
昭和55年、鴉射亭友達会により再建。
平成29年、石川善助親族、奉賛者により修繕工事が行われております。

【菊池華樵記念碑】

書家で諱は義徳周造と称し華樵と号しております。天保10(1840)年頃の生れで、幼いころから絵画に親しみ、長じて人物花鳥山水全て得意とされたと云われております。よく漢詩をも好み愛宕山と広瀬川を読んだと思われる詩を有志一同が奉納されたものです。
「谷を流れる水は荒れた坂をうがち、枝は繁り、野の実は赤く色づいている。故郷を離れた愁いを水墨画にしたためていると、細々と咲いた菊の一群がなお心を寒々しくする」と解釈されています。

【仙台愛宕山の経緯度測点標石】

明治16(1883)年11月、時の内務省地理局は、全国の経緯度測量を行いました。当時の経緯度測量は星(恒星)の位置を観測する天文測量を基本とし、その際に星を観測する器械を測点標石に設置することで測量されました。
経度測量は11月7日から17日まで、緯度測量は同21日から12月2日まで全国一斉に行われ、測量終了後地理局は宮城県に対し、測点の永久保存を伝えられました。
全国の測点標石でこれほど完全に残っている例はなく、測量史跡として極めて貴重であります。
昭和53年、宮城県沖地震発生後、境内整備の為に当時の計測地より現在の地点へ移動しています。

【大正天皇御聖蹟碑】

当時皇太子であらせられた大正天皇は、明治44年4月23日、陸軍第四聯隊二師団大演習御観悦の為来仙遊ばされ、演習終了後当神社を親しく御参拝になられ、境内から旧仙臺市街をご覧になられました。
これを記念して、昭和12年、地元有志により建立されました。揮毫は仙臺藩士であった第二十代内閣総理大臣高橋是清によります。

【お愛宕さん作成】

平成12年から13年にかけ行われた平成の大改修事業落成を記念し制作されました。
7月に斎行される夏祭りの風物詩となっています。

【大天狗像・烏天狗像】

文化元年(1804年)建立。
天狗は修験道の守り神とされ、また、一般には愛宕大神の神使や顕現した姿として畏怖の対象とされてきました。
当神社創建時は、天狗山と称されるほどに木々が乱立する鬱蒼とした山であり、両天狗座像は建立以来、永きに亘り仙臺城下を見守ってこられましたが、平成23年の東日本大震災にて倒壊。経年による損傷、劣化も甚だしく、平成25年に建立当時の姿へと修理、再建されました。また、修理の際に天狗像内部より棟札が発見され、文化元年に氏子崇敬者たちによる寄進により建立されたことが判明しました。
天狗座像としては日本最大の大きさを誇ります。

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